役員紹介

役員紹介

設立総会(2024年12月4日)役員集合写真

八木直樹

私が28歳だった1993年に起きた「平成の米騒動」をきっかけに日本の農業と21世紀の食糧問題に関心を持つようになり、独自の勉強を始めました。そして30歳の時に、有機農業の世界の豊かさを知り、自ら有機農家になることを決めました。1年間茨城県の研修所で過ごしたのち、97年春に三芳村(2006年に6つの町と合併して南房総市となる)にやって来ました。三芳村は有機農業の先駆地として有名なところで、経験豊富な方々がたくさんいらっしゃることを知ったからです。そして半年の研修生活ののち、ここで就農しました。有機農業の先駆者である先輩方から教わったことは、私の百姓人生の土台となっています。

それ以来ずっと有機農業で暮らし続けてきましたが、生活が安定してきたことや研修希望者が次々に訪ねてくるようになり、また地域で耕作する人が見つからない農地が増え始めたこともあり、若い人たちが少しでも不安少なく就農できる環境を整える仕事もしていきたいと考えるようになりました。これまで私は、ひたすらプレーヤーとして田畑に張り付くように仕事をしてきましたが、このままでは、自分たちができなくなったらそれで終わってします。そうならないように、その後を少しずつ引き継いでくれる人たちの活躍の場をつくりだしていくことが、これからの私の役割ではないかと考えはじめるようになりました。それが、この「ゆうき農園みよし村」を構想することになった動機です。

私は、自らの農園(やぎ農園)をこれまでどおりに経営していくと同時に、新たに「NPO法人ゆうき農園みよし村」を理事長として運営していくことになるため、これまで経験したことのない日々を送ることになります。農の楽しさをたくさんの人たちと共有していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


竹中由里子

少し前に仕事で心身を病んでしまった時に、何もできず、とことん落ちるところまで落ちたら「自然と触れた---い!!」という気持ちが突如芽生えました。そして、リハビリ後、一年間ウーフ体験(酪農業や自給自足、エコな生活している方のもとで、寝泊まりしながら食事を提供してもらい、お手伝いしてその知恵を学ぶ活動)をしました。そこでの農作業や自然体験にはもちろん癒されましたが、私の中での一番の収穫は、そこで食べた有機や自然栽培の食べ物でした。普段おいしいものを食べて美味しいという感覚は当たり前にありました。しかし、有機や自然栽培の食べ物は、ただ美味しいだけでなく、体が喜んでいるのがわかりました。体中の細胞が活性化する感覚です。初めての感覚でした。「これは自分でも作れるようになりたい」と思ったのが最初のきっかけです。

その後、南房総の方とご縁があり、2022年の春に一緒になったのを期にこちらへ越してきました。有機のお米を作られている八木さんを知り合いから紹介してもらって、パートナー(援農制度のようなもの)に登録しました。そこからどんどんお米の魅力にはまっていきましたが、就農する勇気がなく、くすぶっていたところに八木さんからNPOのお誘いを受けました。私が就農する勇気がない理由は、はっきり言って「農業は儲からない」からです。今の日本の制度では農業で食べていくには、休みなくあくせく働くか、ある程度経営能力がないと難しいと感じました。多分私のように農業には興味があるが、同じような理由で踏み出せない人は多いと思います。そのため、今回のNPO設立は私のような人たちへの後押しにもなるのではないかと考え、参加させて頂きました。

また私には、誰もが気軽に集まれるようなコミュニティを作りたいと前々から思っていました。このNPOがその場になるような活動も行っていけたら良いなと思っています。


さかいしのぶ

北海道の水田地帯で生まれ育ち、機械化前の農業の昔ながらの作業の、その大変さや自然との折り合いの過酷さの記憶が朧げにあります。それでも周りの環境の季節の美しさや楽しみがたくさんあり、豊かなトキを過ごさせてもらいました。しかしあっという間に、機械が増え、倉庫が建ち、基盤整備がなされ大規模農業へ変貌していくのをみていました。

千葉に住むようになり、棚田を初めてみて懐かしい気持ちに。草の匂いを嗅ぎ、水を触り、風を感じる田んぼがあることに、嬉しさを感じ、皆が思うように喜びがある場所と感動しました。単純に昔に戻りたいという思いもあります。年取ったからかな?畑からもいで、太陽に温まったトマトを丸かじりでおやつにする生活を子供たちにもやってほしい。戻ることはできないけれど、失った自然は戻らないけど、大切にすること、ヒトが自然をケアすることはこれらまず、考えて行くことかと思います。

たべものを作る農家は大地を育て、守る担い手である大切な仕事。休耕田や畑が増えた今、環境をまもりながら田畑が復活増えていくことが未来につながる大切なことだと思います。私自身はそんな農家さんたちの美味しいお米を野菜を使って玄米菜食のお店をやっています。毎年変わる野菜の状況、虫の大量発生!大きい小さい、固い、甘い、最高!出来不出来に一喜一憂する生産者さん、そのとき、その状態の野菜を美味しく調理して食べられたらよいなと思っています。そこから、自然とともにいること、生かされていることを一緒に感じていきたいと思います。


岡巌

東京で生まれ育った私が、三芳村と出会ったのは37年前です。有機農業をやっている農家に泊めてもらい、畑仕事をやらせてもらいました。里芋の収穫だったと思います。翌年、仲間で7aの田んぼでの米作りをやらせてもらいました。その年の秋から「三芳自然塾」の建設が始まりました。都会の人が、寝食を共にしながら田畑の作業を体験することのできる“合宿所”のような場所でした。(今はもうありません)この建設に、熱心なメンバーではなかった私は、少しだけ参加しました。

数年のブランクの後、仕事を辞めた機会にあちこち旅でもしてみようかと思い、最初に訪れたのが三芳村でした。稲刈りの季節だったので、日替わりで自然塾関係者の田を渡り歩いて手伝いをしていたところ、隣の農家のおじさんに「うちの手伝いをしてくれないか」とスカウトされました。それから半年弱、住み込みで、家の改築や山の木切りの手元、鶏の世話などをやりました。この時の経験が、今の生活の基礎になっていると思います。

そうこうしているうちに家族ができ、ともに都会育ちの妻と話しあった結果、こちらで子育てしようという事になりました。以来、旅の起点とすべく訪れたこの地での生活が続いています。

“百姓”という言葉の由来は、百の仕事をしたことだそうです。それを最終目標として、4反弱の田で米作りをしつつ、木切り、大工仕事、茅葺き(かやぶき)の仕事などをやっています。広く浅くではありますが。

田んぼの作業の中でも最もつらいと言えるかも知れない草取り。痛む腰をさすりながらも、満たされた気持ちになる瞬間があります。気温と水温のバランスが心地よく、五月晴れの陽の光が水面に反射してキラキラ揺れている。頭の上でウグイスが“ホーホケキョ”と鳴いた時、この環境に身を置いていられることに幸せを感じます。

この環境が少しでも長く続くように、仲間と連携しよう、仲間を増やそうと思い、参加しています。


根岸典好

中学の時は登校拒否、高校ではいじめられている部類に。学校嫌いで、高校卒業後は進学せずにフリーター。ぷらぷらしている時に一冊の本(緑の冒険)に出合う。本の著者の出身校である東京農大(探検部)に進学。学業そっちのけで、探検部の活動、山、川、フィールドワークに没頭?海外での活動にあこがれ、卒業後は青年海外協力隊に参加。職種は野菜だが経験不足で、八ヶ岳中央農業実践大学校で事前研修。そのカリキュラムの中の農家研修が、三芳村のじろえむ稲葉さんでした。協力隊ではパプアニューギニアの山奥のテプテプ村へ。電気、水道、ガス、通信手段のないテプテプ村での村民との生活で、食べ物を作ったり、獲ったりという当たり前のことが出来る生活をしたいと思うようになる。2年半の活動を経て、帰国後は協力隊時代に知り合った妻と結婚。三芳村で事前研修中でお世話になったじろえむ稲葉さんのお誘いもあり、南房総三芳地区で新規就農。就農資金は協力隊の時に貯まった分のみ。初めは鍬一本からのスタートで、25万の中古の軽トラック、7万円の中古の三菱ガソリン耕運機7馬力、草刈り機だけは新品だったかな?資金なんてあっという間になくなってしまいました。田んぼ一枚1反5畝を任されて、仲間と耕作。畑も少しずつ面積を増やし、当初は野菜セットの販売が主力の有機野菜農家(自称)お金など貯まるわけもなく、もともと助産師の妻は看護教員として勤めにでる。その後少しずつ経営面積が増えたものの、野菜栽培に労力的な限界を感じて、稲作農家(自称)へ転換。

2024年現在の経営面積は、すべて農薬化学肥料不使用栽培で稲作4町5反、畑が3反ちょい。所有する機械類はトラクター2台、コンバイン1台、トレーラー、軽トラック2台、軽バン1台、ウイングハロー、畦塗り機、ブロードキャスターなど。農繁期や人手が必要な時以外は基本一人で経営しているので、機械化された有機農家の部類に入るかも。

農村の宿命ともいえる高齢化と担い手不足。最近いよいよ現実になりつつあると感じます。周りを見れば数えられるほどしか農家がいない。集落の集まりでも、農業従事者の数が減り、農業関係の話は皆無に近い。多くの農業従事者、農に携わる人、農に関心のある人など、多くの人がいないと、いい考えも浮かばない。労力的にも人がいればできることは増えるし、思考は無限大?そして振り返れば、私の年代以下の稲作農家はほとんどいない。

こんなことでは地域のコミュニティーすら崩壊の危機。ましてや農から始まる文化なんかは、この先生まれてこないじゃないか。そんな思いから人を増やす、農に関心のある人を増やす、さらには農業で生計を立てる人を増やすことをやらなきゃと思い、NPO法人ゆうき農園みよし村に参加しています。

座右の銘は「動中の考、静中の考に勝る」


佐久間葉子

私は、南房総市のおとなり「館山市」で生まれ育ちました。

子どものころから自然は身近にありましたが、ほとんど田畑に触れる機会がないままここまできました。高校卒業後は地元を離れましたが、便利な都会生活より、海と山に囲まれたこの地で生きたいと思い24歳の時に戻ってきました。今は交通の便もよくなり、都心にでるにもさほど苦もなく、海の広さも山の高さも程よく、身近に季節を感じることのできる景観、何をするにもちょうどいいこの田舎さが私は大好きです。

地元に戻ってからは、館山市の観光案内や飲食業などを経験し、現在は事務の仕事をしています。今までいろいろな職業についてきましたが、農業に興味を持つことはありませんでした。そんな私が農業に関心を持ったのは2022年頃。

「食料自給率」「耕作放棄地」「食育」「歴史的背景」などを学ぶ機会があり、今まで当たり前だと思っていた田んぼの風景や、自分たちの食べる物が危機にさらされていることを知りました。それから日本の農業を守るために自分もなにかしたいという気持ちだけがどんどん大きくなっていきました。しかし、家庭菜園さえやったことがない私に何ができるのか。何をどうしたらいいのかわからないけど、とりあえずまずは自分で体験してみよう、でもどうせやるなら、あの「はざ掛け」の田んぼがいいと思い、思いついたのは、いつも車で通る三芳の道沿いで見る田んぼの風景でした。そして「南房総・はざかけ」でネット検索をして見つけたのが「やぎ農園」でした。

最初は田んぼの学校ではじめて田植え、稲刈りを体験し、その後農園パートナーになりました。農作業は何もかもが私にとって新鮮で、普段事務仕事しかしていない私には多少ハードなこともありますが、それも含めて心と身体が生き返るのを感じました。そして何より自分が手伝った田んぼのお米や作物が食べられることのうれしさ、また、休憩時間の何気ない会話の中で教えてもらう、農家さんの暮らしの知恵や地域の歴史、自分が本当に守りたいものが何なのか再確認することができました。

私がこの活動に参加した最初のきっかけは、日本の農業に対する危機感からでしたが、これから展開していくNPOの活動にはいろいろな可能性があります。

たくさんの方にこの活動を知ってもらい、少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ一歩ふみだしてみてはいかがでしょうか。今まで気づかなかった可能性や感動に、きっと出会えると思います。


細尾正一 

高度成長期のさ中、雪深い北陸の農家に生まれ、進学を機に都会に出る。首都圏生活30数年、バブルとその破裂も経験。この間、都会生活のストレスを強く自覚。終の棲家を地方に模索するうち、当時の安房郡三芳村に辿着。温暖な気候と広めの土地物件が気に入り、住民票を入れる段になり当地が市町村合併で南房総市に編入されたと知り、愕然。

「村民の夢」潰えるも、旧三芳村の開放的空気、隣人に恵まれ、僅かのうちに夫婦とも心身不調の改善を見る。昔日来自転車を友とし、奥多摩、奥武蔵、西上州、山梨~長野の峠越えでストレスを発散させてきた。当地で妻は近隣から入手する真竹を用いた竹細工に新天地を見出し、庭前等畑の野菜作りに精を出す。他方、八台の自転車を引き連れ移住してきた私は、半島の末端に流刑地を選択した如き地理的条件に苦しむ。輪行の手段はここでは奪われている。かつてのアイデンティティー「自転車を駆る手打ち蕎麦屋巡り」は、蕎麦文化果つる地か?と疑うほど手打ち蕎麦屋が少ない!ことで断たれる。下調べを怠った罰が降る。後半生の生き方を模索する日々。限られた土地で不器用な私が栽培できる作物はソバしかなかった。ソバの実を収穫、粉にする。蕎麦掻きとする。飽きる。慣れぬ包丁を手に、麺にする。蕎麦屋さんから「それじゃ順番逆だろう?」とツッコミあり。蕎麦粥もあるが、麺の方が絶対好き。蕎麦打ち道具を逐次揃え、蕎麦らしきものに仕上げる修行時代始まる。追々、栽培~収穫~製粉~蕎麦打ちの工程が出来上がった。さて、独力で全てを行うやり方は他人にお薦めしない。余りに設備と労力に無駄が多過ぎる。同志を集い皆で協力分担するのが理性的。移住後約18年、蕎麦・饂飩打ち五百回以上。師匠はYouTubeさん、近隣手打ち蕎麦屋ご主人たち。お客は徒歩出前圏内住民(犠牲者)。自家栽培、電動・手挽臼挽微粉+粗挽粉、産地ブレンドの十割、細打ち・太打ち随意。技量の至らぬ点多々あれど、この一点許りは自給自足を自負。号「藪竹庵」。

移住後すぐ、周囲に耕作放棄地が目立ち始め、やがて白昼でも猪の姿が見え隠れ、人間が電気柵に囲い込まれる風景に。加えて19年9月台風15号が人家と半島の美しい風景に深い傷跡を残す。里山に所狭しと植林された杉や灌木類が無惨に薙ぎ倒され、親しみある里山の姿が変貌。寂れゆく里山をどうにかできないか?と思っていた時、食と農により共に地域を活性化しようと働きかける「NPO法人ゆうき農園みよし村」設立の呼び掛けに出会う。大規模農地の画一的手法に依らず、多様な農のあり方を模索、自然の持つ再生力を活かし、里山という貴重な財産を未来に繋げていく試みへと、否応無く巻き込まれた。


勝本芳美

旧三芳村に引っ越してこの春で、19年になります。引っ越す前は、館山市のアパートに住んでいました。子育てをするには、アパートではなく戸建てが良いと思い、旧三芳村に来ましたが・・・村がいいなぁ~と漠然と思って引っ越したものの、村民にはなれず・・・1人目の産後ケアーを助産師さんにお願いをしました。助産師さんからの紹介で、近所の方や同じ子育て中のお母さん方と知り合いになる事が出来ました。そういった繋がりの中で、夏みかんジュースを作ったり、お味噌を手作りするようになりました。若い頃は全くといって良いほど食の安全性など考えもしなかったのに、旧三芳村に移り住み、子育てをする中で自然とそういった事に気づける環境にいました。

子ども達も少し手が離れてきた頃に、やぎ農園さんのパートナーの募集を知り、参加しました。パートナーとして参加させてもらい、農作業は他の事を考える事なく集中し、没頭出来る事が、私には必要な時間であり、この歳になって子どもの世話から離れ初めて体験する、楽しい時間でした。また、私の体力は半日しか持たず、しかも作業が終わった後は、必ずといっていいほど筋肉痛に襲われました。その他にも、労働の対価が、現金でない事も共感しましたし、逆にありがたかったです。やぎ農園さんのお米や野菜がいただける事が、何より嬉しかったですし、ありがたかったからです。

パートナーをきっかけに、八木さんからNPO法人のお話しをいただきました。昨年の今頃かなぁ~?(竹中さんと佐久間さんと一緒に、八木さんの思いを聞きました。)八木さんからのお誘い・声かけがとても嬉しかったですし、私でも何か協力できる事はあるかなぁ~と思いました。八木さんの思いにも共感したので、この「NPO法人 ゆうき農園みよし村」に参加をさせていただく事にしました。

「NPO法人 ゆうき農園みよし村」が、これからの本来のあり方にシフトしていく先駆けになれる様、微力ではございますが、理事長を始め、会員のみなさんと地域のみなさんと楽しく盛り上げてまいります。食の豊かさ・自然な循環を、私たちの団体からも広く発信していきまぁ~す!


相川武士

大阪に生まれ、茨城、ルワンダを経て、東京の都市部でITや貿易の仕事をしていました。2016年に息子が生まれたのをきっかけに、自然豊かな環境で生活したいと考え、2017年の秋に家族で南房総市に移住してきました。

豊かな自然と里山のある南房総は、子どもをのびのびと育てるにはとてもよい環境だと思います。一方で、その環境は地域の多くの人達による多大な労力により成り立っているものであり、過疎化・高齢化により維持が難しくなっているという現状もあります。移住者として、地域の方々が作り守ってきた環境にフリーライドして消費するのではなく、これからも共に地域を支えていく一員として活動したいと考え、NPO法人ゆうき農園みよし村に参加させていただきました。

農業については素人ですが、農や食の体験を通じて、南房総地域の移住者や子育て世代が持続可能な地域づくりに興味を持ち関わるきっかけづくりができればと思っています。


佐藤靖子

東京で働いていたときから、いつか田舎に住みたいとずっと思っていました。紆余曲折の末、どこに住んでもできる仕事として翻訳をやろうと決め、10年ほど前、フリーランスになったのをきっかけに館山市に移住しました。

2011年の震災をきっかけに、仲間と畑を借りて週末に一緒に作業するようになり、田んぼのイベントなどにも時々参加していました。最近は仲間のやっている田んぼを手伝ったり、自分で畑を借りていろいろな作物を育ててみたり。いつの間にか、農作業は日々の生活になくてはならないものになっていました。

耕作放棄地が増えていく現状を目の当たりにする中、農業をメインの仕事にできなくとも、もう少しできることがあるのではないかと思うようになり、2024年に1年間、農業研修を受けました。2025年の春から兼業農家として就農する予定です。

未来を生きる人たちが、食べ物に困ることなく生きていけるよう、大切な農地を次世代に引き継いでいくことが、今生きている私たちの大切な役目だと感じています。このNPOを通じて、多くの人が農に関わるきっかけをつかんでくださったら、うれしいです。自分の食べ物を自分で育てる豊かさや楽しさを、たくさんの人と分かち合えることを楽しみにしています。


田村正

北海道の小さな町で、田んぼや牧場に囲まれ幼少期を過ごし、その後、都会に出て、社会人となり東京で企業人としてバリバリやってきました。

そんな私が、3年程前から三芳地区に住み、自給のために米、大豆、小麦を作っています。いわゆる半農半Xで、東京での仕事も続け、さらには安房ローカルバンドのメンバーとして精力的に音楽活動もしています。やっぱり田んぼの村にたどり着くことになっていたのですね。

ゆうき農園みよし村への参加は、当時、やぎ農園のパートナーとして農作業に参加していた私に、八木代表が声をかけてくれたのがきっかけです。代表から、農家だけじゃなく多様な経験値を持つメンバーで、有機農業・地域の未来に向けて活動したい!という熱いメッセージを受け取りました。

私が実践しようとしている農スタイルを含めて、多様な農への関わり方を実践する人を応援したい気持ちが芽生えました。少量でも自分が育て収穫した作物がどれほど美味しいか。こんな時代だからこそ、本当にそれを感じてもらいたいと思います。これから、私自身の生産量も頑張って増やしていけるよう、経験を積む、学びの日々です。毎日毎日コツコツと。

まずは、やってみる精神で農作業に参加してみませんか?


渡辺由香

私はバブル真っただ中、ファミレス、コンビニ通いに明け暮れて学生時代を過ごした昭和の世代です。

やがて家庭を持ち、家族の生活を支える側になった時に、ゴミ捨て場に置かれた多量の残飯やゴミを見て、大きな疑問を持つようになりました。世界には飢えで苦しむ人々がたくさんいるのに...。折しも“We are the worldが流行った頃です。遅ればせながら「食」ということを入口に社会へ関心をもつようになりました。

また子供達や私自身にもアトピーや喘息の症状がその頃から出始めたことで、食や生活習慣を見直すまたとない機会になりました。当時は横浜に住んでいたので生協や自然食品店で食材を購入したり、自然食を学べる料理教室に通ったりすることで、日々健康を取り戻している実感を感じつつ楽しみながら子育てが出来たことを、今では懐かしく思い出します。

そして私は夫の運営する動物病院で仕事をしていた為、犬や猫達にもアレルギーや癌などの病気が増えていることを目の当たりにしました。しかしそれらの病気が薬では治せないという事実も徐々に気づくようになりました。そこで病気になりづらい食事や薬に頼らない手当てを用いる「動物の自然療法」に携わるようになりました。今の時代は「食べたもので体は作られる」という当たり前の事を忘れてしまう世の中になっていると思います。

やがて子供達も成長し孫も生まれました。私も還暦を超え人生の最終ステージに入りました。人生の残された時間をどう使うか?その問いを自分に投げかけた時、次の世代の子供達や私たちにたくさんの恵みを与えてくれる自然環境や、その中で共に暮らす動物達も調和を保ちながら、平和で豊かに暮らし続けて行けるような世の中を残していくことに、微力ながらお役にたちたいと考えるようになりました。

そんな夢をもって4年前に横浜から南房総に移住しました。「念じれば叶う」という通り、この地で自然や動物を愛するお仲間がたくさん出来ました。そしてそんな繋がりから“ゆうき農園みよし村”の活動に参加させて頂くことになりました。とは言っても、私にはキツイ農作業は出来ません・・・。私はみんなが元気に楽しく作業できるようにお料理を提供したり、交流の場を準備したり、安全で美味しいお米やお野菜を食べたい人に繋げたり、そんな持ち場でお役に立つことが出来たら嬉しいです。

それともう一つ大きな希望があります。それは農作業や里山保全に携わる人が増えることで耕作放棄地が田畑に再生され、放置された竹藪が見晴らしのよい土地に生まれ変わり、寂しい里山に人の気配や賑わいを回復させることが出来ると、野生動物を本来の住処である森や山へ戻ってもらうことが出来るのではないかと思っています。それが害獣と言われて無駄に殺処分されてしまう野生動物を減らすことになれば何よりです。

多くの野生動物は、なわばりを作り自然界で採れる食糧に見合った頭数までにしか繁殖出来ないと言われています。人間界と野生動物界とのなわばりの境界があいまいになっていることで、野生動物は生きる為の食糧を探しに農作物を求めて里へ下りて来ています。人間達が責任をもって自分たちの田畑や里山を見回り管理することで、人間界のなわばりを明確に野生動物に示すべきです。無駄な殺生のない(食用の為の狩猟は別として)優しさのあふれる南房総になって欲しいと思います。

自然林の多い森や山はそこに住む動植物の生態系を安定的に豊かにします。豊かな生態系となった森や山は、里山や田畑、海へ還元され、私達にとっても豊かな食材の確保と気候変動による災害への緩和となることでしょう。

自然を大切にしたいという志を持つたくさんの仲間が、みよし農園を介して繋がり、その集合意識がさらに大きくなることによって、それぞれの夢が叶う近道になると信じています。


のざきゆき

2021年の春に、都内から南房総に引っ越してまいりました。日本の綿の栽培や、家庭菜園をやりたい気持ちがあり、タイミング良く小さな庭のある家を旧三芳村地区に見つけたことや、当時の南房総市の地域おこし協力隊の担当者が親切に市内の案内や空き家探しに協力してくださったのが引っ越しの決め手でした。その協力隊の方から、やぎ農園さんをご紹介いただき、やぎ農園さんのパートナー活動(農作業のお手伝い)に参加させていただいたのをご縁に、NPO法人ゆうき農園みよし村に参加させていただきました。

我が家の周りは山に囲まれ、田んぼが広がっています。朝は鳥のさえずりで目が覚め、木々のゆれる音や、青々とした田んぼの景色に癒されていました。しかし、高齢化と担い手不足で、田畑の周りの草刈をする人が不足していると感じたり、山も年々手が入らなくなり害獣が増える一方。ついには田んぼも担い手がいないと近所の方々から聞くようになりました。やぎ農園さんのパートナー活動を通して、このような話は全国の深刻な問題だと再認識したのです。さらに日本の主食の米をつくる農家さんも減っている、田んぼも国の政策で減っていることを知り危機感を感じています。

この、ゆうき農園みよし村の活動を通して、まずはこの旧三芳村地区から、有機農に興味のある方々が田畑を安定的に続けてゆけるお手伝いをし、田畑を活用し食の自給を会員さんと地域の方々と一緒に実現してゆけたらと想い活動しています。少しでも多くの方々と、問題共有と解決の一助となる活動ができれば幸いです。